思い出すことさえできず無くしてしまいそう

 

ひとり暮らしを始めて丸1年が経った。始めた当初はあんなにも新鮮な毎日に期待を抱いていたのに、1年経ってただの日常になった。未だに自炊のレパートリーは増えず、相変わらずパスタを茹で続けている。時々、思い出したように米を炊き、米が尽きればまたパスタを茹でる日々だ。もともと食に無頓着なところもあったけど、何とか自立した生活を維持するのに必死でさらに無頓着になった。そういえばここ1年あまり服も買っていない。新しい服が欲しい。衣食住もバランスだなあ。

これは友達が言っていたことだけど、

「衣食住は生活の土台で、その上に生活を豊かにしていくプラスαがあって、細分化されたプラスαの中のひとつとして『恋愛』を捉えているやつと、プラスαの中で肥大し過ぎて衣食住並みのカテゴリとして『恋愛』を捉えてるやつがいる」そうだ。

彼のそういう視点には度々感心させられる。何にこだわるか、何をあきらめるか。「死守せよ、だが軽やかに手放せ」、みたいな。そういうのを忘れずにいたいなと思う。

 

 

「無理が通れば道理が引っ込む」とはよくいったもので、平成(もうすぐ終わるらしいが) の世を生きる我々も得てしてこの法則からは逃れられていない。 考えてみれば当然だけど、1日は24時間しかないし、金は口座に入っている分しかないし、身体は1つしかないし、 考える頭も感じる心も1つしかないわけであって、大体のものは有限で、許容量がある。畢竟、有限の時間は大切に使っていきたいと思う。特にやることもなく形式上の待機を命ぜられている今、 取り留めのない頭の中を整理するためにブログを書くことはもはや必然だとも言えよう。

 
人間は可愛い生き物だから、その時どんなに大切だと感じていてもすぐに忘れてしまう。日々、インプットとアウトプットを繰り返しているうちに、大概のことはどーでもよくなってしまうらしい。しばらくブログを書いていなかった期間のことがほとんど思い出せなかった。一時期に比べて、過敏な人間ではなくなったんだろう。酒をよく飲むようになったからかもしれない。酒はとがりすぎた神経を丸くしてくれるような気がする。

 

普段あまり怒らない(怒ったことを覚えていないだけかもしれない)のだけれど、昨日、はっきりと怒りを自覚した出来事があった。 腹の底から何かがこみあげてくるような感覚がして、 1日中仕事が手に着かなかった。 あの時は本当にものすごく腹が立ったのに、なんだか早速記憶が薄れてきているので、とりあえずここに書き残しておこう。